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平野レミさん 和田誠さん死去から2年、最愛の夫との別れをどう乗り越えたのか

イラストレーターの和田誠さん(享年83)が死去してから2年、妻の料理愛好家・平野レミさんは、最愛の人との別れをどう乗り越えたのでしょうか。

料理愛好家・平野レミさん
料理愛好家・平野レミさんが最愛の夫の秘話を語った
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10月9日からは和田さんの作品展が開催されます。作品や資料が約2800点集結する、没後初めての大規模な展覧会です。レミさんに、作品展や和田さんへの思いを聞きました。

和田さんがよみがえったみたいで、嬉しくてしょうがない

和田さんが亡くなったのは2019年10月。その後すぐに新型コロナウイルスが感染拡大し、予定していた「お別れ会」も流れてしまった。

「なにか和田さんの会を開きたいと思っていたので、今回、展覧会を開催してもらえてよかった。和田さんの作品は母校の多摩美術大学に寄贈しているので、家に和田さんの作品がないの。だから、和田さんに会いに行くって感覚ね。和田さんがよみがえったみたいで、嬉しくてしょうがない」(レミさん・以下同)

和田さんは口数の少ない人で、家庭に仕事の話を持ち込むことはなかったそうだ。

「和田さんがどういう仕事をしているのか、よく知らなかったの」

そう語るレミさんは、この展覧会は和田さんを知るいい機会になったという。

「和田さんって4歳か5歳の時から4コマ漫画を描いていて、その作品も展示されているそう。まだ何者になるかわからない頃からそうやって描いているんだなって、和田さんの原点を見ることができました」

「レミも好きなことを徹底的にやれ」

2人が結婚したのは1972年。きっかけは、レミさんが久米宏さんと出演していたラジオ番組。番組を聴いていた和田さんが、久米さんを通じてレミさんにアプローチ。最初の食事デートからわずか10日後、和田さんのプロポーズによりゴールインした。

平野レミさんと和田誠さん
1972年に結婚した和田誠さんと平野レミさん
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レミさんは育児中、シャンソン歌手の活動を休止。子供の手が離れてから、料理愛好家として仕事を再スタートする。時間とお金をかけてでもおいしい料理を追求する「シェフ」料理ではなく、安くておいしく手軽に作れる「シュフ」料理がモットーとなった。

「和田さんが、自分と同じようにレミも好きなことを徹底的にやれって協力してくれてね。私が料理のタイトルに悩んでいると、和田さんがぱっとひらめいて付けてくれたり、書いていたエッセイをちょっと直してくれたら、すごく文章が良くなっちゃったりしてね(笑い)。

優しくて、私のことをちゃんと見てくれてね。いい人だったの、本当に。和田さんとの楽しい47年間が、夢のようで……」

夫の姿を思い浮かべながら語るレミさん。家庭では夫を“支える妻”に徹した。

「和田さんは仕事が大好きな仕事人間。確固たる世界を持っていて、私はその世界の中に踏み込めなかった。でも、“なにさ仕事ばっかりしちゃって”とか“私と一緒にどっか行こうよ”と言ったことはありません。邪魔しちゃ悪いしね。和田さんの優しい世界を、私も大切にしたかったの。いい女房でしょ(笑い)。

私は家をしっかり守ろうと思って。家事は私がしていたから、和田さんは掃除機の置き場所も、コンセントの位置さえ知らなかった。でも、お皿はよく洗ってくれました。息子が“お母さんにやらせればいいじゃん”と言ったら、“夏は水道の水が冷たくて気持ちがよくて、冬は暖かくていいんだよ”って、そう言うんですって」

生まれ変わっても、また和田さんと結ばれたい

ケンカをしたこともほとんどなかったという。「すべてにおいて優しかった」という大切な夫の死を、レミさんはどのように乗り越えたのか――。

平野レミさん
「毎日毎日和田さんのことで頭がいっぱい」だったというレミさん
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「苦しいって言うか、もうね、つらかった、つらかったな…。毎日毎日和田さんのことで頭がいっぱいで、いなくなっちゃったことが、さびしいのと、会いたいのと、ますます好きになっちゃうのと…。どうやって自分の気持ちを立て直せばいいのか、和田さんがいなくなっちゃったのを受け入れられなくて。

私は和田さんの手のひらに乗って、好き放題やらせてもらってたの。その手のひらがなくなって、私はストンと奈落の底に落っこちちゃった。だから、和田さんがいなくなったこれからが、私の人生の勝負なの。和田さんはどこかで見守ってくれていると思うから、明るく元気にね。メソメソしてたって和田さんはもう帰ってきてくれないのよね」

生まれ変わっても、また和田さんと結婚したいとレミさんは語る。

「好きな人と結婚しても、どちらかが先に死んじゃうよね。残されると、どんなに苦しくて寂しいか。それを私は味わうことになっちゃった。だからね、来世があるとしたら、また和田さんと絶対に結婚したいの。そして今度は、私が先に死ぬの。和田さんが残って、私がどんなにつらかったか、わかってほしいと思う。もうリベンジよ(笑い)」

「唱さん、レミさんの手をしっかり握って」

立ち直る大きな力をくれたのは、長男の和田唱さん(ロックバンド「トライセラトップス」ボーカル)と、その妻で女優の上野樹里さんだった。

平野レミさん
2016年冬、夫の和田誠さんと日光へ行ったときのショット
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「黒柳徹子さんは和田さんと昔から仲良しなのね。よく家に遊びにいらしてたのね。“和田さんが亡くなって心の支えがなくなった。私はどうしたらいいんでしょう?”と聞いたら、“過去の楽しい記憶をいっぱい思い出しなさい”って言うの。はいって答えたけど、思い出だけじゃつかみどころがなくて~。

私の友達が、“あなたには息子さんがいるじゃない”と言われたものだから、それを唱と樹里ちゃんと3人でご飯を食べた時に伝えたの。思い出はつかみどころがなくて悲しいって。そうしたら樹里ちゃんが、“唱さん、手を出して、レミさんの手をしっかり握って”って。

息子の大きな手で握られたとき、あのもみじみたいなちっちゃな手を握って散歩したその手がこんなにしっかりした手になって、私の手をぎゅっと握ってくれている。ああ、息子の半分に和田さんの血が流れてるんだなと思ったらね、心のつかえみたいなのがストンと取れてね。思い出だけじゃなくて、つかめるものがちゃんとあったんだって。そこから、気持ちの切り替えができたんです」

夫がいなくなってから2年、レミさんは家族によって支えられている。

話題を呼んだ平野レミさん考案の”立ったブロッコリー”「ブロッコリーのたらこソース」
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「お祭りきゅうり」も自信作
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◆料理愛好家・平野レミさん

東京都出身。日航ミュージックサロンで歌手デビュー。1972年にイラストレーターの和田誠さんと結婚し、出産後は育児に専念するため歌手活動を休止。その後は料理愛好家として活動、明るい性格とユニークなレシピで人気に。多機能鍋「レミパン」などのキッチン用品の開発、特産物を使った料理で全国の町おこしなどにも参加。テレビ、ラジオ、講演会などマルチに活躍中。

◆和田誠展

2021年10月9日(土)~12月19日(日)/東京オペラシティ アートギャラリー(東京・新宿区)https://wadamakototen.jp/

取材・文/小山内麗香

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