趣味・カルチャー

【65歳オバ記者 介護のリアル】思い出した祖父のこと 何気ない一言で家族で大笑いした出来事がいま慰めに 

タツヤンを一瞬で元気にさせる言葉

ところがマスエさん家族はみんなおっとり、のんびり。タツヤンはそれが気に入らない。怒鳴る、わめくで手がつけられないこともあると聞いて、マスエさんの家に家族で見舞ったらなんとタツヤンは奥の座敷に寝ていて、「ご飯だよ」と何度呼んでも布団から出てこないの。

タツヤンは自力で立ってトイレにも行けるし、ご飯も食べられる。どうしたことか。「気に入らないことがあるといっつもそうなんだよ」とマスエさんはちゃぶ台に夕飯を並べながら困り顔だ。

和室
気に入らないことがあると部屋から出てこない(Ph/photoAC)
写真8枚

その時、私は一瞬で元気にさせるひと言を思い出したのよ。それを寝ているタツヤンの耳元で言ったら、たちまち目を輝かせてムックリ起き出してご飯を食べだしたの。それが、「ジブラルタル海峡」。事情はこうだ。

タツヤンは農家の次男だから最低限の教育しか受けられず、本家からもらったわずかな農地を耕していた貧農だけどもっと学問をしたかったんだね。

しばらく前に私がスペインに行ってきた、と言ったら「ヒロコ、ジブラルタル海峡は見てきたか?」って言うのよ。

タツヤンち、つまり母ちゃんの実家は農村で村に2軒しかお店がない。見渡す限りの田んぼばかりだ。ここからほとんど出たことがない明治25年生まれの口から「ジブラルタル海峡」なんて地名がなぜ出るのか。

「ジブラルタル海峡」に目が光り、顔が生き生きと

ビックリして聞いたら、タツヤンが尋常小学校に通っていた明治30年代は子供の勉強といえば読み書き算盤のほか、徹底して世界の主要な地名を覚えさせられたんだって。スペインとアフリカ大陸を挟んだジブラルタル海峡は、重要な軍事拠点だったんだって。

それが村の小学校へ着物と草履で通っていたタツヤンの小さな頭に、決定的な憧れを植え付けたんだと思う。それを知ってから私はタツヤンと話すときは、意味なんかあってもなくても、「ジブラルタル海峡」を口にしたの。

そうしたらもう笑っちゃうくらい一瞬で目に光が灯り、顔が生き生きとしてくるんだもの。この時もそう。

ジブラルタル海峡
「ジブラルタル海峡」と言えば一発で機嫌が直るタツヤン(Ph/イメージマート)
写真8枚

「おじさん、この前、スペインに行ってきたんだよ」と言ったら予想通り、「ジブラルタル海峡を見たのか!」と目をキラキラさせ、むっくり起き出したんだから。

本当はスペインに行ったのは7、8年前だけどまあ、細かいことはいいのよ。その時はそれだけで終わらなかった。食卓についたタツヤンはご飯を食べながら私たちにグチをこぼし始めたのよ。

関連キーワード