家事・ライフ

経営未経験の主婦から社長になった諏訪貴子さん、「孤独」「不幸」という気持ちを変えるきっかけとなった言葉

諏訪貴子さん
経営未経験の主婦から社長になった諏訪貴子さん
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切削研磨加工を専門とするダイヤ精機は、中小製造業が集まる東京・大田区の町工場です。代表取締役社長の諏訪貴子さん(51歳)は、2004年に急逝した父親を継いで、32歳で主婦から2代目社長に就任。町工場という男性が多い職場で、傾いた会社の経営を立て直し、育児と経営を両立させる若手女性経営者として著名になった諏訪さん。いまや、政府の「新しい資本主義実現会議」のメンバーにも選ばれています。そんな諏訪さんですが、就任当初は、周囲からの評価は最悪だったと語ります。諏訪さんに、“歳を重ねながら前向きに生きる術”をうかがうインタビュー。第2回は、育児と経営を両立させる若手女性経営者として、次第に注目されるまでを語ってもらいました。【第1回はこちら】

“経営を知らない娘が後を継いだ”

2004年、ダイヤ精機の創業者である父親が逝去したのを機に、諏訪さんは32歳で社長に就任。しかし会社の売上はピーク時の半分に落ち込んでおり、2代目社長で女性である諏訪さんの評判は、対外的に厳しいものがあった。

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「ただでさえ、女性の社長に対する世間の評価は低い時代です。“経営のことを何も知らない娘が後を継いだ”と思われ、主婦だった私に社長が務まるわけがないと思われていたのでしょう。就任してすぐに、取引先の銀行から同業他社との合併をすすめられたので、『とにかく半年で結果を出すから、私の経営を見てほしい』と伝えました。

銀行の支店長から、頭ごなしに『お前、これからは頑張らなきゃダメだぞ』とも言われました。本来、経営者と銀行はパートナーで立場は対等ですから、『お前』と呼ぶなんてありえません。“ここで上下関係を作ったら終わりだ”と思い、その場で『誰に対して言ってるんだ。ビジネスパートナーからお前呼ばわりされる覚えはない』と怒鳴りました。もちろん、計算の上でやったことですが、とにかく周囲から軽く見られないように必死でした。あとで支店長から『女性であんな反応をするなんて驚いた』と言われました(笑い)」(諏訪さん・以下同)

会社を立て直すために悪役を演じた

経営をV字回復させるべく必死で業務改善に取り組んだ諏訪さんが、最初に手を付けたのは人員削減だった。当時、27人いた社員から5人をリストラした。

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社員とも積極的にコミュニケーションをとっている諏訪さん
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「業績回復のためには、仕方のない決断でした。突然、創業者の娘がやってきて経営改革をするわけですから、最初は社員と意見がぶつかることも多かったです。そこで、まずは社員が一致団結するべきだと考え、リストラをする私が悪者になりきって、社長と社員の対立構造を作り出しました。私の悪口を言うことで、社員に一体感が生まれるんです。そのあとで私が個別に社員とコミュニケーションをとって、相互理解を深めていきました。その結果、会社として同じ方向に進んでいくことができたんです。

とはいえ、会社は危機的状況でした。最初の半年間は本当につらかったです。主婦をしていればよかったのに社長を引き受けて、社員からは大反発を受けている。孤独感にさいなまれて、なんて不幸なんだと思ったこともありました」

心を変えたシェークスピアの名言との出会い

そんな諏訪さんの心を変えたのは、ある名言との出会いだった。

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「社長としてやっていくなら人の気持ちを理解する必要があると考えて、本を読み始めました。そこで出会ったのが、シェークスピアの『世には幸も不幸もない。考え方しだいだ』という言葉です。“私は自分のことを不幸だと思っているけど、考え方次第なんだ”と気づけたことで、ものの見方が少しずつ変わっていきました。

私の経営方針に反発していた社員たちは、どの企業でも通用する高い技術力を持っています。ダイヤ精機が嫌ならとっくに転職しているはずなのに、私にぶつかってくるということは、本気で会社のことを考えてくれている証なんですよ。そんな社員に囲まれて、人ができないような経験をさせていただいている私は幸せ者だと思えたんです」

製造ラインや工程管理も見直し、必死で経営改革に取り組んだ結果、経営は見事V字回復を果たす。諏訪さんは、育児と経営を両立させる若手女性経営者として、次第に注目されていった。

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