皇室情報

《天皇皇后両陛下 能登半島地震・被災地ご視察》現地に負担かけぬお心遣い コートはお手持ち、食事は持参、マイクロバスで職員と移動も

被災者のお見舞いへ 熱心に話を聞かれた両陛下

石川県輪島市の避難所「ふれあい健康センター」では、被災者の前で腰を落とし、一人ずつに声をかけられ、被災者の話に、何度もうなずきながら、熱心に耳を傾けられていた。

天皇皇后両陛下は「けがとかは大丈夫ですか」「お体をお大事にしてください」などと声をかけられた。雅子さまは「こちらもまだ水が使えないですか?」と質問をされ、避難生活を気遣われていた。

石川県輪島市の避難所「ふれあい健康センター」をご訪問(2024年3月22日、Ph/JMPA)
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被災者のお見舞いを終えられた後は、災害対応に尽力した関係者らの話を聞き、ねぎらいの言葉をかけられた。

災害対応に尽力した関係者らの話を聞き、ねぎらいの言葉をかけられた(2024年3月22日、Ph/JMPA)
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上皇皇后両陛下から受け継がれた“スタイル”と令和流のご配慮

津波で広い範囲が浸水した珠洲市にヘリで移動した天皇皇后両陛下は、泉谷満寿裕市長に出迎えられ、その後マイクロバスで、避難所となっている緑丘中学校を訪問された。

現地ではヘリコプターを利用された(2024年3月22日、Ph/JMPA)
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日帰りで訪問された両陛下(2024年3月22日、Ph/JMPA)
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輪島市の避難所でのお見舞いと同じように、相手と同じ目線の高さになるよう、被災者の前に座られた両陛下。かつて上皇皇后両陛下も避難所で被災者を励まされる際に床に膝をついていた。また今回の日帰りという点も上皇ご夫妻の姿と重なる。2016年の熊本地震で日帰りというハードスケジュールのなか、上皇ご夫妻(当時は天皇皇后両陛下)も、被災地を訪問されている。

避難所となっている緑丘中学校を訪問(2024年3月22日、Ph/JMPA)
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避難所でお一人ずつ声をかけられる天皇皇后両陛下(2024年3月22日、Ph/JMPA)
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同じ目線の高さになるように被災者の前に座られた(2024年3月22日、Ph/JMPA)
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被災者と目線の高さを合わせられる美智子さま(1995年、Ph/JIJI PRESS)
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膝をついて、被災者と同じ目線の高さに合わせられた美智子さま(2011年4月、Ph/JMPA)
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宮城県、福島県、岩手県の被災3県を回られた(2011年4月、Ph/JMPA)
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東日本大震災の際には発生から5日後にビデオメッセージを発表された上皇さま(2011年4月、Ph/JMPA)
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災害対応に尽力した関係者らをねぎらわれた(2024年3月22日、Ph/JMPA)
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消防関係者らをねぎらわれる天皇皇后両陛下(2024年3月22日、Ph/JMPA)
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その後、津波被害が大きかった飯田港をご視察。泉谷満寿裕市長からの説明を受け、被害状況を視察された両陛下は、2度、海に向かって、異なる方角に深く頭を下げられた。

津波被害が大きかった飯田港をご視察(2024年3月22日、Ph/JMPA)
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泉谷満寿裕市長からの説明を受けられた(2024年3月22日、Ph/JMPA)
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2度、異なる方角に深く頭を下げられた(2024年3月22日、Ph/JMPA)
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海に向かって拝礼される両陛下(2024年3月22日、Ph/JMPA)
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今回の天皇皇后陛下のご訪問は、震災直後、心を傷められながらも、現地のことを考え、時期を慎重に検討され、優しさ溢れる“令和流”のお見舞いとなった。

能登空港を出発された天皇皇后両陛下(2024年3月22日、Ph/JMPA)
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能登空港から特別機で帰京(2024年3月22日、Ph/JMPA)
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