趣味・カルチャー

65歳オバ記者が綴る「すい臓がん」になった親友 「私、死ぬかもよ」と言った2か月後に永遠に別れるまで

「医者はステージを聞いても答えなかった」

こんな時の偶然ってロクなことはない、とは言わなかったけれど、とにかくF子の顔を見て話したい。F子は池袋から出る東武東上線の沿線に住んでいる。

「そっちに行こうか?」と言うと、「いいよ。まだ定期が使えるから池袋で会おうよ」と言うの。

土曜日の池袋は思った以上の人出で、いったんデパートのレストラン街に行ったものの、どこの店もいっぱい。「じゃ、ホテルメトロポリタンだね。私、おごるから」と言うと、「あらそう? ありがと」とF子は営業職で鍛えた軽やかな口ぶりと足取りだ。

オバ記者
6時間もの手術を終えたオバ記者
写真13枚

料理が来るまでの間、F子は病院からもらったすい臓がんの資料を私に見せて、ボールペンで印をつけながら、「肝臓と胃と、あと肺にも少し飛んでいるんだって」と自分の病状を説明しだしたの。「で、ステージとか聞いたの?」と聞くと、「聞いたよ。でも医者は『う~ん』と言って答えないんだよね」と、他人事のようなふてくされたような言い方だ。

「とにかくすい臓の管がつまっていたからそこに人工の管をつける手術をこの前したのよ」とF子。

「で、痛みは?」

「昼間はなんともないけど、夜はミゾオチから背中から痛くなる。医者からもらった痛み止めを飲むとスッと痛みが治まって眠れるんだけどね」

お互いの入院中もLINEでやり取りした

その数日後、私は大学病院の庭で見たことがないほど大きな葉を見つけてF子に写真を送ったの。「これは何?」。そっそく「桐の木だよ。鳥さんが種を運んできて芽吹いたを放っておいんだら大きくなっちゃったんだね」と返信が来た。子供のころ、植物図鑑ばかり見ていたというF子の得意満面がLINEから伝わってくる。

オバ記者
大きな葉を見つけてF子に送った
写真13枚

区の検診や婦人科病院では「まずは良性の可能性が高い」と言われていた私が、大学病院に検査に通うようになったら、「卵巣がんの疑い」になり、検査、検査、検査。週に3日は通うようになった。ひとり暮らしの私は日常のあれこれを話す人がいないから、F子に報告をする。内心、「私よりずっとヤバい状況」と思いつつ、「で、どうよ」と私も私でのん気な声をかける。これがほぼ毎日、続いた。

オバ記者
入院中のLINEや電話は続いた
写真13枚

そんなことを9月いっぱいして、末日に私は手術をするために入院した。

「結局、卵巣がんか良性腫瘍かは、開腹手術をしないとわからないんですよね」と担当医師は言うの。「なら、1か月もかけて検査なんかしないでさっさと手術したらいいじゃない?」というのはシロウト考えで、治療にはそれなりの手順があるらしい。

とか、病院で意外だったことはいくつもあるけれど、その中のひとつがメールや電話がし放題なことよ。もちろん相部屋の病室で話したりはしないけれど、ラウンジに出れば眺めのいい景色を見ながら、いつまででも話していられるの。

オバ記者
F子と電話していた病院のラウンジ
写真13枚

「あ、夕飯だ。明日も電話するけど夕方のほうが都合いい?」

「私のほうはいつでも大丈夫そう」

手術日が迫っている私は朝から何かと忙しいけれど、F子のほうは「なんか知らないけどヒマ~」だそう。そして同じ病室の人の話をあれこれ。それが決していい兆候だとは思わないけれど、私は「そうなんだぁ」としかいいようがない。

オバ記者
手術日が迫っている私は何かと忙しかった…
写真13枚
関連キーワード