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66歳オバ記者、母親や弟を亡くし、叔母は認知症で特養へ「昔話をして顔をしかめる身内がひとりもいなくなった」

オバ記者
新宿の街を歩きながら昔、叔母と夜の繁華街を一緒に歩いたことを思い出した
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ライター歴45年を迎えたオバ記者こと野原広子(66歳)。自宅介護の末、母親を看取ったのは一昨年春のこと。その母親の妹(叔母)が認知症を患い、先日、特別養護老人ホームに入所した。「東京のおばちゃん」として憧れだった叔母との日々をオバ記者が綴る。

* * *

あれっきり叔母からの電話はない

「ヒロコちゃん? 私だけど」

東京から新幹線で行く地方都市の特養(特別養護老人ホーム)に入所した叔母(88歳)から電話がかかってきてから10日以上が過ぎた。「みんなで旅行に来たみたいだけど、そろそろ帰りたいのよね。迎えに来てくれる?」と言う叔母に、「いいけど、そこにいて何か困ることあるの?」と聞くと、「困ることはない。こざっぱりしていていいところよ」と言うの。「ご飯は?」と聞くと、「みんな用意してくれるのよ。お金は前もって払っているから遠慮はいらないみたい」だって。

母ちゃんの後ろにいるのが叔母
母ちゃんと一緒に写っているのが「東京のおばちゃん」
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認知症がひどくなった叔母は、特養に入所したことを理解していないんだよね。なので私は叔母に調子を合わせて「じゃあ、もうしばらくいたらいいじゃない。何かあったら電話してね」と言って電話を切ったんだけどね。

電話を切った後から、もし夜に昼に見境なく電話をかけてきて、すぐにここを出たいとわめかれたらどうしようと心配になった。けど、あれっきりだ。ということは、電源が切れて充電の仕方がわからないのか。それとも…。

オバ記者と母親
大丈夫だと思うけど施設にいる叔母のことが気になる(写真は母ちゃんとスマホを使って電話した時のもの)
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何日か過ぎたときに合点がいったんだわ。施設はどうにかして叔母から携帯を取り上げたに違いないんだよ。そりゃそうよ。認知症の入所者が外界と連絡を取っていいことなんかひとつもないもの。もめごとを起こさず、静かに、ほどほど健康に共同生活をしてほしいと施設が願うに決まっているわよ。

叔母は私の憧れだった
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「東京のおばちゃん」は憧れの人だった

しかしなぁ。あの叔母がすんなり施設におさまってくれるのかしら、とも思うんだわ。叔母の身元引受人は地方都市に住む58歳の娘と、東京の55歳の息子のふたりだから、姪の私は関係ない。娘にLINEをして「叔母ちゃん、どうしている?」と聞けばすかさずレスしてくれると思う。だけどそれをしてどうするのと思うとスマホの上で指が止まるんだよね。

オバ記者と叔母
叔母が施設に入ると聞いて駆け付けたときの一枚
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だからといって叔母が頭から消えたかというと、そうとも言い切れないのは、それなりの歴史があるから。

「だからお前はダメなんだよ」「ふん、くだらないっ」「何、たいしたつもりしてんのよ」と、70代半ばから油断すると私は叔母から罵声を浴びせられたけれど、同時に「ヒロコちゃん、ご飯食べて行くでしょ」という身内の声も耳に残っている。てか、正直にいうと夏休みになると寄宿していた小4から高3まで「東京のおばちゃん」は私の憧れの人だったんだよね。

街並み
ケンカもたくさんしたけど「東京のおばちゃん」は憧れの人だった(Ph/photoAC)
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茨城の田舎、NHKの朝ドラ『ひよっこ』の舞台そのものの家、後ろに林があるかやぶき屋根の農家で、土間に囲炉裏に離れには馬小屋もある。そんな家で生まれた叔母が上京して、新宿区の土地持ちの家の息子に見初められて結婚。専業主婦をしながら編み物を習い、やがて編み物教師になって、流行の最先端のニットのミニスカートでさっそうと新宿の伊勢丹に入っていく。茨城娘から見たら「東京のおばちゃん」と言うだけでそれだけでキラキラした気持ちになれたのよ。

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