家事・ライフ

料理研究家が初めて語る「260万部売れたダイエットレシピ本」の誕生秘話 バリキャリ母と美食家父の死がきっかけだった

料理研究家の柳澤英子さん
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8年前、日本中を席巻した「作りおきダイエット」を覚えている人も多いだろう。なかでも52歳で26kgやせたときに食べていたレシピをまとめた『やせるおかず 作りおき』シリーズ(通称「やせおか」)の著者、料理研究家の柳澤英子さんは、ブームのきっかけをつくり、牽引したひとり。73kgから47kgに激変して約10年、60歳を過ぎた柳澤さんは、一度もリバウンドせず、風邪ひとつひかない暮らしぶりだという。彼女の最新レシピ本『毎日「き・ま・か」ごはん 60歳からは「やせる」より「元気」を優先!』には、その理由と、ダイエットを決断させた本当の理由がはじめて明かされていると聞き、さっそく話を聞いてみた。【前後編の前編】

死を覚悟して気づく「食べる」ということの意味

栄養学への興味と料理好きが高じて管理栄養士の資格を取ってしまった編集者兼ライターである私が、同じく元レシピ本編集者だった柳澤英子さんにインタビューする機会に恵まれた。まずいちばん聞きたかったのは、50代でダイエットを決断したわけ、だ。一般的に中高年と言われる年齢で、大きなダイエットに挑むには、少々遅い気がする。その背景には、早逝したご両親との壮絶な別れがあったという。

ダイエット前の柳澤さん。仕事に追われ、疲れた体と脳を休めるのに深夜ラーメンを食べて寝るのが日常だった頃(本人提供)
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「両親共に短命で、母は私が高校生の時、まだ49歳で亡くなりました。10年後、糖尿病だった父がさまざまな合併症を抱えて他界。59歳でした」(柳澤さん・以下同)

早逝した両親をみて、太っている自分も短命なのだろうと覚悟はしていたという。ところが、40代半ばを過ぎてから、長生きしたいという気持ちがムクムクとふくらんできた。

「それで、両親の食生活を振り返ってみたのです。父は、食べることが大好きで享楽的ともいえる美食家。一方、母は今でいうところのキャリアウーマン。仕事を最優先し、食べることに全く興味がなかった。不規則でバランスの悪い食事ばかり摂っていました」

丸鶏からスープを作り、家には大中小3つの冷蔵庫が

当時、バリバリの食関連の編集者だった柳澤さん。これまで培ってきた知識で分析を行ったところ、ふたりの食生活は典型的な悪例であり、その乱れは明らかに健康を害するものだったという。

「父の美食ぶりは、本当にすごかったのです。たとえば、外食先で美味しい料理に出会ったとします。するとそこで満足せず、家で再現したくなるんですね。わっと高級食材を買い込み、自分の食べたいところだけを使って作ってみるんです。ラーメンを食べたい、となったら、丸鶏からスープを作るのは当り前でした。

骨髄を使ってオーブン焼きするような珍しい料理を作り、会社の同僚を呼んで振る舞うこともありました。そんなホームパーティーは、しょっちゅう開いていましたね。私は、買い出しの荷物持ちや食材を切ったり、洗い物をする係り。ほぼ父のアシスタント状態でした」

父親は当時まだ珍しかった電子レンジやIH調理器なども購入。柳澤家には大中小のサイズ違いの冷蔵庫が3つあり、ほぼ食材で埋まっていたというから驚きだ。

柳澤家のおむすびは具だくさん。定番の鮭フレーク入りおむすびには枝豆とわかめも(『毎日「き・ま・か」ごはん』より)
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