家事・ライフ

薄井シンシアさん、時給1300円の電話受付をしていた私が“誰もやりたがらない仕事”から“ベストセラー商品”を生み出すまで

直接、上司に職場の弱点を聞く

私はブルーオーシャン(=競争相手がいない未開拓の市場)を突き止めるのがすごくうまい。まず、新しい職場をよく観察します。ホテルに勤務していた時は、直接、上司に「ペインポイント(=弱点)はどこですか?」「どの仕事が滞っていますか?」と聞くこともありました。

当時は宿泊の営業をしていましたが、海外からの問い合わせに対する返信が遅かったことに気づき、「24時間以内に返事をした方がいい」と提案して、窓口を設けてもらいました。それまでは問い合わせが来ると、総合窓口がコーディネーターに話をつなぎ、コーディネーターが対応する人を決めてから、営業担当に案件を回していました。それでは返信に時間がかかるので、英語での対応が必要な時は総合窓口から直接、営業担当に案件をつなぐ運用に変えました。私が顧客なら1分でも早く返事が欲しいからです。

ピンチヒッターをこなして、ものを言う

入社後まもない私の提案が受け入れられたのは、その直前に私がピンチヒッターをこなしたからです。

それまで発注を仲介していた人がしばらく休暇を取りました。私がその人に代わって仕事をさばいてから改善を提案したので、説得力があったのだと思います。

よく「大企業の偉い人たちは中小企業に天下ればいい」という人がいますが、「ふざけるな!」と思います。現場を知らないから、いざそこのポジションについても仕事ができないことが多い。そういうことを言う人たちは、中小企業で働いて、上の立場から見えないシステムを理解してから意見を言ってほしいと思います。

◆薄井シンシアさん

薄井シンシアさん
薄井シンシアさま
写真4枚

1959年、フィリピンの華僑の家に生まれる。結婚後、30歳で出産し、専業主婦に。47歳で再就職。娘が通う高校のカフェテリアで仕事を始め、日本に帰国後は、時給1300円の電話受付の仕事を経てANAインターコンチネンタルホテル東京に入社。3年で営業開発担当副支配人になり、シャングリ・ラ 東京に転職。2018年、日本コカ・コーラに入社し、オリンピックホスピタリティー担当に就任するも五輪延期により失職。2021年5月から2022年7月までLOF Hotel Management 日本法人社長を務める。2022年11月、外資系IT企業に入社し、イベントマネジャーとして活躍中。近著に『人生は、もっと、自分で決めていい』(日経BP)。@UsuiCynthia

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撮影/黒石あみ 構成/藤森かもめ