家事・ライフ

「世界の山ちゃん」を率いるのは元専業主婦 カリスマ創業者だった夫の急逝をどう乗り越えたのか

手を動かしながら自分の思いに気づく

しかし2016年、夫が急な病気で59歳という若さで帰らぬ人となり、山本さんは悲しみに沈む間もなく、会社の将来に直結する重大な決断を迫られる。

「社員の中から誰かを二代目社長に指名するのか、社外から招聘するのか、それとも(企業や事業を売却する)M&Aか、いろんな選択肢がありました。夫が救急搬送されて亡くなった病院で、私に社長をやってほしいと言う人もいて…。私は会社より子供たちを大切にしたかったので、一度はお断りしました。

とはいえ、主人亡きあとの会社のことを放り出すのもよくないと思って、かなり悩みました。会長はまだ若かったので、そろそろ後継者の育成を考えようとしていた矢先で、社内から新社長を選ぶのは難しい。といって、社外から優れた人を招くと、『明るく元気にちょっと変!』『立派な変人たれ』といったエスワイの自由なムードが失われてしまうだろうと思いました」

山本久美さん
重雄さんの「社員が幸せにならない選択はできない」という意思のために決断
写真7枚

「私がやるしかないのかもしれない」

M&Aは、実は重雄さんも一つの選択肢として検討した時期があったという。しかし、元の従業員の雇用を維持するという条件で売却しても、買収先の下で社風が急に変わったりして、結果的に従業員が居心地の悪さを感じたり自主的に辞めたりする例もあることから、重雄さんは「社員が幸せにならない選択はできない」と話していたのだそうだ。

「それで、『今はとりあえず私がやるしかないのかもしれない』という思いになりました。15年も専業主婦をしたあとに、なぜそんな思い切った決断をしたのか、とはよく聞かれることですが、多分、知らなかったからですよね(笑い)。企業に勤めた経験がないから、社長がいて幹部がいて社員がいて、というピラミッド構造や、そのトップに立つ人の重圧が想像できなかった。だから飛び込めたんだと思います」

山ちゃん各店舗に貼り出す壁新聞「てばさ記」の作成という仕事も、背中を押した。山本さんは重雄さんから頼まれて、この壁新聞を長年手書きで作成してきたが、会長が急逝したときは社員から「さすがに休みましょう。1か月ぐらい休んでもやむをえないと思います」と休刊を提案されたという。

「でも、テレビや雑誌で会長の死が皆さんへ伝わっているのに、『てばさ記』を1か月休んで1か月後にかいちょうの死を伝えるのもおかしいですよね。会長なら、自分がこの世を去るならすぐに、皆さんにご挨拶したり、これまでのご厚情にお礼を言ったりしたいだろうなとも思いましたし。それで、会長が亡くなった日から約1週間後でしたが、当初の締め切りを守って壁新聞を作りました。そうしながら、私って自分が思っていたより会社のこと、お店のこと、ちゃんと思っていたんだなって気づいたんです」

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