家事・ライフ

NHKでもドラマ化!経営未経験の主婦だった諏訪貴子さん、父の急逝で「会社を継ぐ」決断をした理由

突然、父親が亡くなり主婦から社長に

主婦として生活していた諏訪さんだったが、息子が5歳になって子育てがひと段落つきかけた頃、父親に肺がんが見つかった。入院した父親は引き継ぎをする間もなく亡くなり、周諏訪さんは周囲から「社長をやってほしい」と依頼される。

「その頃、ちょうど夫のアメリカ転勤が決まったばかりでした。家族で引っ越すつもりでしたので、どうすべきかかなり悩みました。選択肢は“引き受ける”か“引き受けない”の2択しかないし、社長をするなら後戻りはできない。これまでの人生で一番悩みました」

父は短くても太い人生だった

悲しみに浸る間もなく重要な決断を迫られた諏訪さんは、“自分が後悔しない道”を選んだ。

諏訪貴子さん
“自分が後悔しない道”を選んだ諏訪さん
写真6枚

「アメリカに行こうと思えばいつでも行けるけれど、ダイヤ精機の社長はこの機会を逃せばなれません。夫についていくと、必ず後悔すると思ったんです。もちろん、父の死後も社員が残って、私を支えてくれることも大きな後押しになりました。

父は64歳で亡くなりました。その人生は決して長くありませんでしたが、娘の私から見ると短くても太い人生だったと思っています。亡くなったときの父の顔はとても安らかで、自分の人生をやり切ったのだと伝わってきました。私も父のように、後悔せずに楽しかったと思える人生にしなきゃと思ったんです。そしてなにより、父が大事にしていたダイヤ精機を残したいという気持ちになりました」

夫と6歳の息子が、全面的に支えてくれた

そんな諏訪さんを、夫は全面的に応援してくれたという。諏訪さんは息子と日本に残って社長になり、夫は単身でアメリカに行くことになった。

「最初、主人は社長になることを反対していました。というのも製造業の町工場は男社会です。とくに当時は女性の社長なんて珍しかったし、経営も知らないし、仕事のブランクもありました。従業員もほぼ知らない人ばかりで、私が社長として会社を引っ張っていけるのかをすごく心配してくれたんです。ただやると決めてからは、応援してくれました」

息子は「想像以上に大人に」

息子はまだ小学校1年生。家を空ける時間が多くなることも不安だったが、息子は親が想像する以上に大人になっていた。

諏訪貴子さん
写真6枚

「私が知らないところで、単身赴任する夫から『お母さんはお前が支えなきゃだめだよ』と言われていたようです。彼なりに自分の立場を理解して、ずっと私を守ろうしてくれていました。

専業主婦だった私の母が、子供に留守番をさせて働くことに反対したこともありました。そんなときに息子は、『お母さんは仕事で頑張ってるから、寂しくなんていないよ』とかばってくれました。

子供って親が思う以上に強くて、成長しているんですよ。その年の年末、夫がいるアメリカに息子と出かけたときは驚きました。24時間以上の長旅で疲れているはずなのに、飛行機を乗り継ぐ際に、私の荷物まで持とうとしてくれたんです」

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